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問題点➍ 自主的労働論

問題点➍ 自主的労働論

 

「出退勤調査」の背景に、教育行政の展開する「自主的労働論」があります。

 

教職員の時間外労働は「命じていない労働」「教職員が勝手にしている労働」だというのです。

 

しかしこんな詭弁は以下の判例等を見ても通用しません。

 

子どもたちの成長発達にとって必要な教育労働は仕事に他なりません。

 

▶ (被控訴人は)持ち帰りの仕事は自己のペースで行うことができる点からいっても、負担の大きいものとはいえないとも主張する。自宅に持ち帰って行っていた仕事の内容に照らすと、職場でそれを行うか、自宅で行うかによって、A教諭にかかる負担に有意な差が生じるものとは到底考えられない。結局のところ、これらの被控訴人の主張(筆者註「自宅残業は公務ではない」)も、採用することはできない。

(大阪高裁2004.1.30)

 

▶ 勤務時間は、授業、会議、打ち合わせ、個別指導等の対人職務に当てるいわゆるアウトプット時間のためにほぼ全部を使わなければならないので、インプットは、おおむね勤務時間外に学校や自宅で行った。        (大阪高裁2004.9.16

 

使用者の具体的な時間外労働の命令がなかったにしても、労働者が作成した勤務時間整理簿が提出され、上司は時間外労働を黙認し、制止しなかった場合には、黙示の時間外労働命令があったものとされる。        (大阪地裁2005.10.6

 

▶ 労働時間算定義務は労働者にあり、労働時間を労働者に申告させてもその立証義務は使用者にあるとし、終業時刻とタイムカードの打刻時刻が長時間の間隔である場合には、使用者が構内にはいたが労働していなかった旨を立証しない限り、タイムカード打刻時刻近くまで働いていたと労働者から請求された場合にはタイムカード打刻時間までを労働時間として取り扱わなければならないという推定が事実上働く。

(東京地裁1997.3.13

 

残業についても、管理職は「帰れ」と言うべきであるのに「精が出ますね」ということは「労働させた」になるし、また「時間がきたから帰れ」と口で言って、労働するようにと目でじろりとにらむ場合なども「労働させた」ことになろう。とにかく居残りをしていたら帰らせるべきで、帰らせなかったら時間外労働させたとみなすことは、すでに明治憲法下の工場法時代の工場監督官の態度であったし、現在、先進工業国の常識である。  (『労働法』松岡三郎・労働省法規課・自由国民社,1996

 

国の過労死認定基準を下回る数値だったが、残された授業や部活の資料などから、「(一人暮らしの)自宅でも相当量の残業をこなしていた」と判断した。

(地方公務員災害補償基金認定,2014.11

 

 

判例の中は、「時間外勤務を前提として、職員会議で職務分担を決定しているから自由意思に基づいた自主的労働である」(札幌高裁2007.9.27)との判決もありますが、だからと言って現場段階で直接「労働時間調査」に影響を与えるものではありません。

 

学校では勤務実態から「労働時間」とみなすことを優先すべきでしょう。